「麺人劉」と呼ばれた劉維虎と彼の三千の麺人

原稿発送の期日:2017-09-30

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(記者 黄競競 撮影 余儒文)皆の子供の頃の記憶に、麺人を作る人が色とりどりの麺を自分の手で瞬間的に「孫悟空vs白骨夫人」という形にさせることによって見物人の喝采を博したという場面がある。時代の流れに伴い、現在では麺人は珍しい。

劉維虎は中国工芸美術協会の会員で、上海市民間芸人協会の会員であり、業者たちに「麺人劉」と呼ばれている。静安区泰興路に位置している古い一室公共住宅に生き生きと見える作品は三千件を超えて、劉維虎は麺人との30余年以来経験したことを展示している。

小麦粉やもち米粉の団子を揉むということの勉強だけは一年かかり

麺塑芸術は常に「麺人」と呼ばれて、中国国家級非物質文化遺産項目に属している。劉維虎は、小麦粉、もち米粉を主な原料として、異なる色素を加えて、手と簡単な工具で種々の生き生きとしている麺人を作ると記者に言った。「作り方が比較的に簡単だと言っても、芸術性が非常に高い民間工芸品です。」中国の麺塑芸術は古い歴史を持って、漢時代にそれに関する文字記録があり、主に伝統的な祝祭日、慶典、礼儀等に使用されると劉維虎は紹介した。麺人は数千年の継承と創新を通じて、現在では皆に好まれる芸術になる。

劉維虎の祖父は麺塑、根彫りの玄人であった。劉維虎は子供の頃に麺塑が大好きだったが、祖父がすでに高齢で、孫を自分の愛弟子に託して、それから劉は麺塑と長く付き合うことになった。「その時の出発点はとても単純でした:一方は麺塑が好きで、他方は技術を多く習いたいでした。」

麺塑作品について、手で捏ねり、ない、揉み、摘み上げ、それから小さい刃物で上手に点じ、切り、刻み、掻くということを通して、麺塑の身、手、頭等を作り出し、髪飾りと衣服を羽織ると、生き生きとしている芸術形象を展示することができる。麺塑芸術のすべての手順が非常に拘り、例えば、小麦粉やもち米粉の団子を揉むということは力仕事であり、小麦粉やもち米粉の質が異なるので、最後の強さと柔軟さはすべて手で把握しなければいけないと劉維虎は言った。「私は技術を習い始めた時、小麦粉やもち米粉を揉むということの勉強だけが一年かかりました。」更に着色からいえば、顔料は可食性と非可食性に分けられ、鉱物質から抽出された非可食性の顔料で作られた麺人が永遠に保存できる;茄子、トマト等の野菜から抽出された可食性の顔料で作られた麺人は観賞するだけでなく、食用することもできる。

世界記録を破った「万博百童」

2009年、劉維虎は一カ月余りの専心創作を通じて、2010年上海万国博覧会へのプレゼント――伝統的な小型麺塑手工芸品の『百童は万博を迎え』を完成した。122個の中国古代の衣服を着ている児童は生き生きと見えて、人ごとの高さは3ミリから6ミリであり、中国小型麺塑において最も小さいと全体が最も多いという二つのギネス世界記録を破った。

それだけでなく、劉は初めて「麺塑画」という芸術を創造し、麺塑作品を一幅一幅の山水画に組み合わせ、麺塑作品の表し方を徹底的に変えた。「麺人はただの名前です。」麺人は人物作品とは限らないで、また花草、魚類と昆虫などのようなこの世の中にある有形無形のすべてのものに引き延ばすことができると劉維虎は言った。

劉維虎はずっと工芸上の極致を追求している。小麦粉やもち米粉の団子の処方を研究しつつあることにより、劉維虎は自らで独特な処方と技術を創造し、作品は二三十年間でかびなかったり、腐らなかったり、変色しなかったりする。近年以来、劉維虎は団子の処方に新しい突破を実現し、転落と圧力を忍耐する能力を大きく増強し、更に作品が保存された時の完璧性を向上させる。

麺塑作品である「贈り物」

かつて、劉維虎は麺塑を作って暮らしたかったが、この計画を早く諦めた。30年以来、技術工人から大型車両の運転手、更に一流の料理人になり、劉の職業はいつも変わる。業者たちに認められた麺塑芸術家だと言っても、麺塑はずっと趣味に留まっている。「この技術によって生計を立てることは難しいです。創造した時に、金儲けの考えを持っていると、優れた作品を作られません。」劉は残酷な現実を認める――民間芸術に没頭すると、貧しい生活を選択すると言える。市場需要が少ないで、経済収益が低く、自分は麺塑に金を持ち出しなければいけない。

小麦粉、もち米粉、蜂蜜、塩、油などの原料を購買することは長期の支出である。立てた麺人に統一的にマホガニー台座を加える必要がある;多くの作品はマホガニー枠のガラス蓋を加えると、数百元もかかる;麺人を置いているマホガニー箱のコストが更に高い。

「すべての作品は唯一ので、コピーすることができません。」劉維虎は麺人を自分の子供のように大切にして、「創意、構図から麺人の髪に、すべては私の心血を注いで、値段をつけることができない。一部の作品はプレゼントとして人に贈られますが、絶対に売りません。」

23平方メートルの部屋で、見渡す限り麺人で、一つのタンスを見つけない。「大きいタンクを置くところがないので、衣服をベッドの下に置くしかありません。」劉維虎の奥さんの王建芳はこう言った。

報酬が低くて徒弟を募集しがたい

サル、ブタ、ウサギ?を捏ねり、「麺人劉」は活動中で、子供たちに取り囲まれて、子供たちがほしい麺人を捏ねる。「多く作って、子供たちに喜ばせて、よく保存すれば、百年後、皆さんは麺人の模様を依然として知っています。」冗談にもかかわらず、劉も後継者が少ないということを心配している。

もう30年経ても、劉は徒弟を見つけていない。「私の要求は厳しくない:心から麺塑が好き、それを研究したい;充分な忍耐力を持ち、一生で貧しく暮らすという覚悟があります。」近年、親の付き合いあるいは学校の紹介で、一部の人は主動的に劉を訪れた。彼らは麺人に経済報酬がないという事実を発見してから退出し、はては多くの人は習い始めなかった。「この長い歴史を持つ民間手工芸は継承されたり発展されたりして、時代の流れで皆の視野から消えていないように希望します。」と劉維虎は素直に言った。

(出所:静安報)

 

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